どうしてもスマホには馴染めない。自分にとって確かに便利性を感じる部分はあるが、要するに使いこなせないのが一番の問題なのである。 同時に、持ちにくい、不要な機能が多い、変なアプリに侵される、操作が分からない、など等・・。これらは歳のによる思考の衰退が原因だと思うが、それらに対応することの方が利便性を超えて苦痛なのである。
・・考えてみると、この歳になると使う必要性や頻度が少なく、それが無くとも十分生活できるのである。確かに、時代遅れで恥ずかしい気もするが、自らの様に合わせて生きる方が幸せと決め打ちし、開き直ることも大事なのである。
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ここ数年変更したモノで右端
結果として、スマホに負けたのである!が、そこで昨日、急に思い立ち、昔ながらのガラケーは無いかと電気店を訪ねた。・・が、有る!ある!! 新しい電波に見合った何種類かのモノが陳列されていた。小生と携帯電話の出会いは今から30年前頃、1994年(平成6年)に「ドニーチョ」と言うドコモの携帯であった。土曜、休日と夜間しか使えなかったが、それはそれは便利であった。・・仕事中は不要であり、休日の釣りにはなくてはならない存在だった。
今、そこに並んだ携帯は、ガラケーとは言わずにガラホ―と言うのだそうな!・・スマホに比べ極端に機能は少なく不便さもあるが、単純に言って小生には「電話」と「ショートメール」の他、釣りに使う「タイドグラフ」さえあれば良いのであって、第一、料金も至って安い・・。
もしかして、この先、もう一度スマホに戻ることもあろうが、その時は、同じ電話番号継続に拘らず、一台の新たな、使いたい機能だけのアプリを備えたたモノであればと思っている。