「令和」と言う新年号を知ったのは、伊豆への釣行時、ラジオ(着るラジオ:ツインバード)から聞こえてきた菅義偉内閣官房長官の声だった。
一言目を聞き漏らすまいと耳を澄ませたのだが、エイワ? メイワ?・・と、よく聞き取れなかった。数秒後、改めて「レイワ」と聞き取ったが、テレビで無いから文字が分からない。想定したのは「礼和」だった。一瞬、礼節を重んじる「礼」だと感じつつ、良いな!・・と思ったのである。
だが、直ぐに「令」だと打ち消され、出典が万葉集であっり、深いその言葉の意味も知り、素晴らしい元号の[令和]がスッと受け入れられたのだった。
この間、ほんの僅かな時間だったが、私自身が最初に感じた「令」は、「律令」とか「命令」とかの「令」だった。・・正直言って一瞬、嫌な気がしたのだが、同時に、それは今の世の中に欠けけている何かを補う「令」では無いだろうかと感じたのだ。
平成の時代に「上から目線」と言う言葉が生まれた。その言葉の乱用が、正しい伝達を妨げているのではないかと思うのである。
特に「命令」調の言葉や文体は無くなり、平易な表現ばかりの中で、その意味合いは聞き手側、読み手側、それぞれ自身の判断に任せてしまっているのである。だから、結果は受け手側で、少しづつ異なってしまう。
・・もう少しはっきりと、時には命令調に、時には指示調で、その方向性を示してほしいと思う方は多い。
これは私の偏見かもしれない。しかし、そんな中だからこそ、物事を正しく伝えるためにも、もう少し緊張感を持った「令」を含むことがあっても良いのではないかと思うのである。こう書いただけでも、批判される方、違う思いをされる方も居られよう。ただ、律を超えた自由は互いの不幸にもつながるし、律を超えた命令は人々を苦しめる。
新しい時代の門出に当って、先ずは「令和」を大事に、自分自身を律し、人に優しく、正直に生きられれば良いと思っている。
新たな時代「令和」に思う
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執筆者:高澤鱚介