気が付けば、早、ひと月が過ぎていた。この日記の方も、何ともご無沙汰してしまった。一言で言訳するならば、ただ“忙しかった”のである。
退職して暫しの時が経ち今年は十分な暇が出来ると考えていたのだが、これは甘かった。歳とともに、残された時間の中で、やり残しはしたくない・・と云う気持ちが先行しているのかもしれない。ただ、その忙しさは、決して他人様の為ではない。自らの、ある意味で、とても贅沢な忙しさであることは事実である。
朝日新聞の宣伝誌「暮らしの風」に、赤瀬川原平氏が“ひまつぶしの知恵”なる面白いコラムを連載している。彼の説から見れば小生の忙しさなどはそ、れこそその“ひまつぶし”の何ものでもい。自分にとって人生最大の楽しみと思って出かける釣りだって、コツコツと悦に入って手造りする鱚介工房の仕事だって、皆その範疇に入ってしまうらしい。
この一月を振り返ると、この“ひまつぶしの釣り”には何度も行っている。
松が明けぬ正月5日には、釣友宇都木朗君の「磯・投げ情報」取材に同行し静浦湾の口野で投げてきた。暮れに26センチをゲットし、それを期待しての釣行であった。ただし、結果は21センチ止まり。この時期、まあ、しょうがないか!としておこう。
ただ取材中、美人記者に惚れたのか、地元の老人が自分のところで採れたという無農薬ミカンを沢山差し入れてくれた。おまけにその御老人、もっと持ってて!と、・・記者さん、車に拉致され家まで取りに行くハメに???
この取材記事は、今発売中の「磯・投げ情報:3月号」に紹介されている。
8日は、久し振りに箱根越えをし、駿河湾の原海岸に行ってきた。37番辺り(海岸背後の堤防に書かれた番号)で喰ってるからと、地元の釣友佐野光則さんの誘いに乗ったのである。
この日は冷え込みが厳しく、背後に迫る真っ白な富士山が朝日を受けて実に美しかった。そんな中、遠投につぐ遠投に励んだのだが、・・しかし、小生の釣果はゼロ。佐野ちゃんが1尾と言う貧果だった。
11日、既に先の“船酔い”で書いたとおり、小田原漁港の「おおもり丸」からシロギスの型狙いで出かけたものの、体調が悪く、途中で挫折し帰宅した。このリベンジを1月末に予定したのだが、鱚介工房の材料仕入れに奔走せざるを得なくなり、未だ延び延びになっている。近いうちに是非挑戦したいと思っている。
13日は、行きつけの酒場「水連洞」の仲間で作っている「釣り道を語る会」のメンバー20数名でシロギスの沖釣りに行ってきた。庄三郎丸の後藤勇社長もこの仲間で、特別の計らいで船を2艘用意してくれた。
勝敗は5尾の重量で競ったが、この季の就餌層は深く、50数メートル立ちでアタリは微妙、喰いも悪くとても難しい釣りとなってしまった。
今はもう、誰が一番だったか、竿頭が誰であったか等は忘れた。・・忘れた?と言うより、自らの下手さ、ふがいなさにすっかり気落ちしてしまい、人のことまでに気が廻らなかったと言うのが正直な所。ただ、自らは17位、村越正海氏が2位だったことだけは覚えている。
そして16日、村越正海氏が主催してくれた“カワハギ釣り大会”に行ってきた。三浦半島の小網代港「丸十丸」からで、20名が参加した。よくしゃべる小菅船長の話しでは、秋口からずっと釣れ続いたものの、最近は型も数も落ち始めたと言う。
釣りの上手下手が顕著に現れるのが、このカワハギ釣りだと言われる。勿論小生は下手そのもの・・確かに難しい。まだ経験は浅いが、その難しさだけは良く分かるようになってきた。
この日も、船中でビリッケツに近かった。そんなことで、いまだに元気が出てこないでいたのだが・・。
このところ、特に、船釣りではダメが続く。暮れからの何れの船釣りの時も我が師、久保秀一師匠に教授いただいているが、併せて迷いも訴えている。
師曰く、・・・何をしてもダメな時はダメですよ。先ずは原点に返っての“基本”が大事です。・・とのこと。今、この言葉を思い出し、何故かふつふつと次の釣行に心が躍り始めている。
早、一月が過ぎて
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執筆者:高澤鱚介