県立博物館に行ったその後は、日々寒く釣りにも出られずに居た。・・また、大した刺激も無く、ここに書くようなネタも見つからないままに過ごしてしまった。
管理ページを見ては、アクセスしてくれる多くの方に申し訳ない気持ちで居たのだが、すっかりご無沙汰してしまった。・・散歩がてら海岸で出会った釣友から、「博物館に行って化石になってしまったの?」と云われる始末・・。ゴメンナサイ!
さて、そんな中、ふと、ある誘いのあったことを思い出した。過日茅ヶ崎海岸でお会いし、ダイワのプロキャスター9000EXを頂いてしまった「和田英男さん」からのものである。1980年時代からの、スピニングリールや投げ竿を沢山コレクトしているとのこと。・・昨晩電話し、店の休業日である今日行ってきた。
和田さんは、JR茅ケ崎駅から雄三通りを海岸に向かって5分ほど歩いた右側の、赤い屋根の「モナミ」と言うシャレた理容店を経営している。
清潔で小奇麗な部屋には2台の理容椅子が置かれ、1台は大正時代に造られた木製の立派なアンティーク物で、これをリメイクし、英男さんが使っている。もう1台は最新型のもので、こっちは息子さんが使っていると言う。腕利きの仲良し親子の店として、多くのお客で賑わっていると聞く・・。
英男さん側の鏡の横には、昔懐かしいオリムピック製のスピニングリール、モデル93が2台置かれていた・・。
・・・しかし、ここがそのコレクションルームでは無い。店から数分離れた元の住まい「和田別邸」にそれはあった。・・・家に近付いて驚いた。どうやら、和田さんは投げ釣り道具だけのコレクターではなさそう・・。
外からも窓越しに色々なモノが見え隠れするが、玄関から入った直ぐの部屋入口には、釣り誌などでお馴染みの「阿部正人」さんが名付けたと言う看板(キャプションの写真)があり、一歩入った部屋には、皆、アンティーク物だが、カメラ、オートバイ、船の模型等など、多種多様なモノが部屋から溢れんばかりに、所狭しと置かれていた。
正直言って、それらは余りにも雑然と置かれ大まかにしか整理されて無い。だが、何故か整然と並べられたものとは違った良さを感じさせる。・・何か分らない隠れたものを次々に探し出せるような、そんな楽しみを与えてくれるのだ。見方を変えると、陳列物を見させる、探させると云った一つの手法の様にも思えたのである。・・御本人は、皆、ガラクタで、何処に何が隠れているのか自分でも分らないと言う。・・・正に、お宝モノの山なのである。
投げ竿・・、有るはあるは、和竿、合竹竿、グラスロッド、カーボンロッドと、時代を担った名竿が何拾本?何百本?もある。
リールは、木リールに始まって、この世に営まれたあらゆる釣り具メーカーから出された大小のスピニングリールが、これも数百台?はあろうか。・・手付かずの、箱入りも何十台もある。更に、水箱(今のクーラーボックス)や投げ釣りに関する懐かしい時代の書籍も多数あった。
大雑把に、だが、しっかりと見せてもらった。ただ、それらをたった数時間で見切れるものでは無い。見たいと思うそれを手に取ると、それの前後に続く、それを見たくなる・・。仮に見たいものがあっても、その品を探し出すには時間が掛ってしまう。
そんなことで、初めての今日はそこそこにしておいた。今後「ここには必要とするとき、それがここに所在する。」ということをしかと記憶に留め置くことにした。
今日拝見したものはどれ一つをとっても、それぞれに思い出や歴史が残っており、使った者のその折々の語り草も付いている筈だ。小生でさえ、当時使っていたモノを見た時には、自身が置かれていたその時代を思い出し、その折々の情景が目に浮かんできた・・・。
見せて戴いた中で、一番に引かれたもの・・・。これまで見たことも無く、話だけで終わっていたアルものである。今日始めて見るそれは、「オリムピック社」製の「ジェミニ850」という大型のスピニングリール。特徴は、巻き取り速度が2段切り替え出来ることである。
これであれば、投げた後、サビくのには適しているようにも思えるが、多分、磯で使うリールであろう。・・大型魚が掛った時に、ローギアーに切り替えて使うのだろう。・・・多分、そう思う。この時代、船釣りで大物をスピニングで狙うことなど余り無かったと思うからだ。
これをもっと小型化し軽量化されれば、今に通用するのではなかろうか?・・とも、思えるのだがどうだろう?
今日は、懐かしい釣り道具に出会え、古き良き時代を思い出すことができた。若かれし頃、貧乏で買えなかった道具、手にすることさえ出来なかった釣り道具を、今、この手で触ることが出来たのである。
昨年暮れに、残念ながら、持っていた古い竿を40数本捨ててしまったのだが、アンテーク物の大切さを改めて教えられたひと時でもあった。和田さん、ありがとうございました!!
投げ釣り道具・コレクションルームへ!!
投稿日:
執筆者:高澤鱚介