卒業50周年記念にあたって

投稿日:

 小生は日本大学藤沢高等学校第九期の卒業である。現在は県内でも有数の進学有名校となっているようだが、卒業した50年前は未だ戦後からの復興期であり、家庭の事情等から荒くれた学生も居り、世間からはワルの学校とも言われていたようだ。・・まあ、何処の学校にも一部元気を超えた悪餓鬼も居たのは事実だが、小生にとっては進学で痛めつけられていた中学校からの解放であったし、同時に、望んでいた陸上競技部への入部も叶い、勉学と共に青春を謳歌した本当に良き高校であった。 本年5月頃、高卒仲間から「今年、卒業50周年を迎えたが、感謝の気持ちを込めて何か我々の生きた証を残せないものか?一つ、知恵を貸せ!」と、実行委員の一人に誘われたのである。その結果、同期生から資金を募り校庭に日大の校章である「桜」と、我らが意を伝える「記念碑」を贈ろうと云うことになったのである。 以来、何度となく会合を重ね、喧々諤々、行きつ戻りつしながらも去る4日、有志や恩師、それに学校長らを迎えて、無事「桜」の記念植樹と「記念碑」の除幕を行うことが出来たのである。  この記念事業に当って、小生は大して役にはたたなかったが、記念碑に掘り込む「碑文」を担当することになってしまったのである。正直言って、単に文を書くことは厭わないが、未来永劫残るような碑文を書くことには些かの緊張を覚えるのであった。・・そして自分なりの気持ちを込めた「名文?迷文?」は出来あがった。 ・・・今、真鍮版に刻印したそれが、立派な桜御影の石碑の裏側にはめ込まれている。  釣りとは全く関係は無いものの、自らの生き様の中にあって、これまでに経験できない出来事でもあったので、お恥ずかしくもあるがこに自らの日記の一文として残すことにした。 文は、相変わらず長い。・・最後までお読みいただければ幸いである・・・。碑 文  我ら第九回卒業生は、太平洋戦争が勃発した昭和16年、この世に生を受けた。戦後復興の槌音高き最中、亀井野の大地に立つここ日大藤沢高校に入学。そして勉学に励み多感な青春のひと時を謳歌した。3年は瞬く間に過ぎ、昭和35年、高度経済成長が始まったばかりの実社会に向けて、企業に就職する者、家業を継ぐ者、進学する者と、それぞれ希望と不安を胸に抱きつつ母校を飛び立った。 以来50年、我らが艱難辛苦をもって国は栄え、それぞれも伴侶を娶り、子を儲け、今、孫子らに囲まれて平和な時を過ごす。 我ら有志は再びここに戻り、青春を過ごした高校時代に思いを馳せ、受けた学びへの感謝を込め、又、我らが生きた証しと、母校の益々の発展を祈念して、この学舎に、校章たたる「桜」と、その名を刻した「記念碑」を贈る事とした。そして一同は、ここに植えた紅桜「仙台枝垂れ」が、湘南一の名木とならんことを夢見て「湘南日藤桜」と命名した。 50年、100年の後、我らは朽ちようとも、大樹となりし桜花は満開にして、我らのそうした思いを知らしめてくれよう。また、未来を担う若き在校生諸君らには、我らのこうした思いと行為が、伝統ある校風として受け伝えられん事を願うものである。 我らが母校、日本大学藤沢高等学校に永遠の栄えあらんことを願って・・・     第9回(昭和35年)卒業生有志118名 代表 田中勝治 鈴木三四郎         平成22年12月吉日                                         文:高見澤佑介

Loading





-未分類

執筆者:

関連記事

no image

今、思うこと・・2

 写真家の久保秀一さんからお届け頂いたモンシロ蝶の写真です。弱い蝶がハネ先まで力強く大きく広げ、思いっきり飛ぶ姿、被災を受けた方々を元気付ける一枚ではないでしょうか。 被災地では、まだ安否不明者が2万人近く居ると報じられているし、原発事故も益々混迷を深めている。  先に、つもりになった募金のことを書き、街に出た際には僅かずつだが参加しているのだが・・・。  先日、宮城県東松島市に住む友人と連絡が取れ無事が知らされたことを書いたが、その後、彼は店が流され、自宅も被害を受け家族は何とか逃げられたという状…

Loading

no image

終盤に入ったか、ボチボチです!

 新年に入ってもう一週間、日が過ぎるのが余りにも早すぎる!とは言っても、ほぼ毎日、暮れに釣れ続いていた相模川河口に通っている。 元旦は休み、子や孫と過ごしたが、2日、3日は、釣りをしながら大学箱根駅伝を観戦・・。湘南大橋を走る選手や伴走車を遠目で応援するが、今年も母校が出てないので気が入らなかった!! ・・・釣果の方も全くのお凸だった!! 4日になって、やっと2尾をゲット、2020年が開いた。型は20センチ級でまあ満足・・・。この釣り場は場所によって差があり、平均すると2〜3尾だが、中にはツ抜けする…

Loading

カワハギ釣りに行ってきました

久保師匠と小菅船長 過日の「和竿でカワハギを釣る会」での感触が残る中、再び三浦半島小網代の丸十丸からカワハギ釣りに行ってきた。 高校時代の同期会の準備や息子の7回忌を控え何かと落ち着かない時、実は、我がカワハギ釣りの師匠久保秀一さんから、こんなメールが届いたのだ。 「突然ですが、明日丸十に行こうと思っています。仕事に追われて和竿の大会の時から竿を持っていないのです。丸十では、30、40尾は当たり前、50を超える勢いでカワハギが釣れていますよ!! 明日の天気予報では日中は晴れ、凪ぎも良さそう…

Loading

no image

貝殻の博物館へ!!

 全国の投げ釣り場をさ迷う中、釣れないときには貝殻を拾い集めることが小生の隠れ趣味でもある。  砂浜には、時折小石に叩かれずに生きたままの姿をした、美しい名も知らない始めて見る貝殻が見つかる事がある。そんな時、少年に帰ったような、貴重な宝物を見つけた時のような、ウキウキした気持ちになる。  だから、拙宅には、いつの間にやら大きなダンボール一杯の貝殻が集まり、部屋のあちこちに転がっている様である。 何時か貝の図鑑を見てそれらの名を知ろうと思っているのだが、それが中々できないでいる。・・それは余りにも貝…

Loading

no image

なかなか釣れません!!

 昨日17日は、下田から仁科大浜まで、ぐるりと伊豆一周をしてきた。 下田に入る前に外浦を狙ったが、小振りが1尾のみ・・。諦めて、下田湾の魚市場、黒船堤防、まどが浜公園と探ってみたが、一人数尾のみだった。 さらに、仁科大浜にも行って見たが、波口で数尾の顔を見ただけで終わってしまった。 今回も、伊豆の気配は薄く、もう少しの温かさが必要と感じた。 ・・で、今日、茅ヶ崎の柳島海岸で2時間ほど様子見をしてきた。 潮が濁っており、流れも強く、良い海況ではなかったが、仲間が仲良く各1尾・・・といった具合!!  と…

Loading

2024年5月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

アーカイブ