釣友・人物・恩人

村越正海は開高健を超えたか?

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鱚介と

今日の話は何時もより長くなる。御用とお急ぎのある方は後段から読んでほしい。

では、前段・・行こう。
過日、3月末だったと思う。ある夕刻、村越正海氏からの電話。今日あたりどうですか?との誘い。シャワーを浴び1時間後に平塚市内の奄美酒房「水連洞」に行く。
そこで紹介されたのが小学館「文芸ポスト」編集長の松本幸則さん。会話から知ったのだが、彼はジャーナリストとして、例えば「ペルー大使公邸人質事件」で現地取材などに活躍した熱血記者であるらしい。
当然のこと、会話は釣り談義が中心となるのだが、その日は少し違った。どうやら松本さんに釣り話しは通じそうもない。そんな中、彼から、何が縁でこうして村越氏と飲むことになったかについて経緯が語られた。要約すると、彼は、3年前たまたまテレビで「釣り師:村越正海」の姿を見かけ、この人はいったい何者なの?釣りで喰ってるの?カメラワークもプロ級?そんな世界があるの?・・と、何ともその存在が不思議に映ったそうな。ジャーナリスト魂の動きは素早い。直ぐに電話で村越氏を捉え“会見を申し込んだ”のが始まりだったと言う。
  (・・実は、申し訳ないが、今日はこうした彼を主題として書こうとしている訳ではない。・・)
酒が入り、話が弾み、大げさに言えば“釣りと文学”談義に移ったときだった、つい、私の何時もの悪いノリが出てしまったのである。
これを村越氏の前で語ると少し嫌な顔もするが、年長の私が言うのだから、まあ、黙っておこうと聞き流している?・・・かも知れないが、こういうことである。「今は亡き開高健は、釣りをあれだけ頑張ったが上手くなれなかった。だが、文章は上手い。今、村越正海の釣りは格段に開高健を超えてしまった。だから、文筆をも超えてほしい。」と、そんな「余計なこと」を、この席でも言ってしまったのである。
私は、正直言って開高健がどれ位い釣りをしていたか、どれほど立派な文を書いたかは良く知らない。これは村越氏を励ます意味で言っているのだが、実は本気で、そうも思っているのである。
そこで、松本氏が「うんうんなるほど、そうか、私のところで村越さんに執筆していただいたエッセイは実に素晴らしい文章だと思うが・・読まれましたか?」と言うのである。恥ずかしくも読んでない私に、後日、このコピーが送られてきた。
正直、驚いた。読んだ瞬間、目からウロコが落ちる思いだった。主題も中身もさることながら、文脈の捉え方、表現等々が実に素晴らしい。また、私が知らなかった彼の生活の一面が描かれているし、新たな村越文学がそこにあったのである。
実は、そのコピーは、大事に仕舞ってあった。だが、前回、久保秀一師匠のメールを引用した日記を書いているうちに、ふと、このことを思い出してしまったのである。
他人の褌を借りて相撲を取るようで恐縮だが、是非、村越ファンに対して彼の釣り就職への過程を知っていただき、同時に村越文学の一端をここに紹介しなければならない。・・そう思った次第なのである。

ここに、松本、村越両氏の了解を得てその全文を掲げることにした。それ以降、私の「余計な話し」はストップしているが、なお、願わくば釣り以外の、取材であっちこっち体験した余談をもとに、是非、新たな村越文学をご披露されることを念願してやまない。釣り人から愛される「村越正海」そのものが、釣り以外をどう過ごし、どう考え、どう対処しているのかを知りたいと思う。・・・そんな多くのファンを代表して!!

さて、後段に移ろう。

これは、小学館文芸ポスト TEA TIME(欄) (03年頃)に書かれたものである。
     
     
      釣りと自由と父親と・・・村越正海(釣り師)

釣りが仕事である、と聞いてピンと来る人はまずいないだろう。
テレビの釣り番組に出演したり、雑誌の記事を書いたり、時には講演会に出かけたりといった極めて雑多な、釣りに係わる諸々を手がけていると説明すればあるいは理解していただけるだろうか。
海釣り、川釣りのジャンルは問わない。
当然、一年中日本各地の水辺をさまようことになる。さらに年に数度は海外にも出かけている。かくして旅人のような暮らしを送ることになるのである。
そんな生活を知ってか知らずか「趣味を仕事にしてしまうと大変ですねぇ」と同情してくれる人もいるが、申し訳ないけれど微塵の苦痛も感じていない。それどころか日々楽しいことばかりである。
だってそうだろう。自分で選び、目指し、夢見た生活の真っ只中にいるのだ。
むろん、乗り越えねばならぬハードルはあった。
最たるは、両親。とりわけ長男の進路に大きな期待を寄せていた父親は高いハードルだった。
高校進学が間近に迫った頃のことである。神奈川県の水泳大会で入賞を果たしていたぼくに、県下にある全国的に有名な某私立高校への推薦入学という話しが持ち込まれた。まさに、父親の理想とする階段が目の前に現れたのだ。
ところがその誘いに背を向け、地元の公立高校を選んだ。今思えば、厳格な父親の押し付けにも似た理想像への抵抗だったのだろう。
さらに、大学卒業と同時に「釣り」という職業を目指し、自由人への第一歩を踏み出すことにした。
先人はいない。釣りを職業としている人など聞いたことがなかった。
周囲に説明することはおろか父親を説得することも出来ない。それでも手当たり次第釣りの仕事を手がけ、がむしゃらに突っ走ることを決めた。
以来二十年、家族五人の生活は「釣り」によって人並みに成り立っている。
先日父親から“知人に贈るため”の色紙を要求された。「テレビで息子さんを観ましたよ」と告げられ、ついついその気になってしまったらしい。
遠慮気味にいう父親の言葉が嬉しかった。
そう、ぼくは今、釣りを仕事にしているのである。

               以 上

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