平塚海岸のキスは益々遠くなってしまった。3〜4人で、誰かが1尾の顔を見られる程度である。
そうした中、ずっと気になっていた映画「永遠の0」を観てきた。皆さんにも観て頂きたいから中身や荒筋等、解説めいたことは控えたい。
さわりだけを言うなら、ここに描かれた時代は、太平洋戦争の開戦となったった真珠湾攻撃から敗戦に至るまでの4年間における、当時世界に恐れられた戦闘機「零戦」に乗る一人の航空兵の悩みぬく姿を描いたものである。これは現実に有った史実であり、深く考えさせられる映画である。
実は、その期間は、小生が東京で生まれた昭和16年から、終戦の神奈川県二宮町に疎開した昭和20年までの4年間に一致する。
小生が何となく覚えている戦争体験?と云えば、終戦の昭和20年夏の夜だった。お隣に住んでいた大工の婆さんに背負われ、防空壕に逃げる途中に見た相模湾の沖合に浮かぶ戦艦からの真っ赤な火柱、国鉄二宮駅や変電所を機銃掃射するアメリカ軍の飛行機が屋根すれすれに飛び、その機銃音や爆音に驚き、兄弟姉妹皆で布団戸棚に逃げ込んだこと、アメリカ軍が落とした機銃弾のヤッキョを松林に拾ったことなどくらいである。
そして終戦を迎えた時、二宮海岸に上陸揚収艇?が何艘もあがり、たき火を囲んだ米兵がチョコレートやコカコーラ、火であぶったマシュマロ等を沢山くれた。その時、大人や女は近づかなかったようだが、子供心に、アメリカ人は優しい人たちだなあ〜・・と映ったことを思い出す。
話がズレてしまったが、こうした戦中、一番の働き盛りの青年達が、祖国を守ると云った大義名分に従って次々に戦場に散っていったのである。
兵隊の一人をもが決して喜んで散っていった筈は無い。守るべき人、家族が居た。それをを守らなければ為らないために死を覚悟して、敢えて戦わなければならなかったのである。
この映画に描かれているのは、正に、人としての愛であり正義でる。そして愛を貫き通す一人の男の意地である。
この映画は、決して娯楽のために造られたのではない。今に生きる戦争体験者が、自分たちが置かれていた真実を今の人たちに語りたかった。・・・そのことを代弁しているのだ。
戦争とは本当に酷いものである。未だに、地球上の何処かでこの酷く悲しい戦闘が行われているのが現実である。少なくも、我が日本国に於いては戦争にかかわる如何なる芽をも出してはならない。・・そんなことを感じさせる、考えさせられた映画であった。
最後に思う。・・平和を願う日本人なら、否、世界中の人に、この映画を見てほしい。
その内テレビで放映するだろう!などとは云わず、是非、今、見てほしい。・・・分厚い、ハンカチを手にもって・・・。
映画「永遠の0」に涙!
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執筆者:高澤鱚介